第1の「改革開放と華南ビジネス」について
山谷氏はまず、中国が改革解放により、イデオロギー国家から経済発展優先政策を採り、「自力更生」を進めながら「鎖国経済」から対外開放、外資の誘致を試みたことに触れた。次に、華南地域では広東省がビジネスの中心地で、とりわけ珠江デルタが華南ビジネスの主役を演じていることと、それが香港とのつながりの上に成り立っていることを強調された。 広東省は、1978年以前は経済的には全国平均の下程度であった。しかし、この地域をテストケースとして改革開放が試みられた。その結果、1990年半ば頃になると、香港の製造業はほとんど珠江デルタへシフトした。珠江デルタ経済開放区に香港企業が入り、本社、事務所は香港で、工場は中国へという形になった。 広東省には、経済特区(深セン、珠海、せん頭)と珠江デルタ経済開放区があり、三資企業と「三来一補」企業が集積した。とりわけ、東莞市では3千人の蔡さんと12万人の出稼ぎ労働者が入ってきている。働く場は日系企業と台湾企業が中心である。華南ビジネスのモデルは「両頭在外」といって原料、部材の調達は海外、製品の市場も海外、但し組み立ては中国内地(広東省、珠江デルタ)となっている。第2の「香港の実情」について
香港は、1950年代になると貿易中継港から工業都市へと変化した。1950年代初め、再輸出が90%を占めていたが、1960年代末には20%に減少し、工業都市へと変化。1970年代になると台湾、韓国の追い上げがあり、香港は貿易、金融、運輸、不動産、観光、情報サービスへと多角化していく。しかし、1998年になると、製造業比率が6%に落ち込み、2001年には再輸出(中国製品を再輸出)が90%を占めるにいたった。 山谷氏の新聞寄稿「中国あちこち」によると、香港には「北上就業」、「北上消費」という言葉があるという。「北上」とは深センとのボーダーを越え中国内地に行くことで、「就業」とは大陸で仕事を手に入れることである。香港の製造業はすでに珠江デルタ地域に「北上」し、今日ではサービス業の一部職種が「北上」を始めたという。「北上消費」とは、香港に比べ格安の買い物、飲食、娯楽が楽しめる深センに、週末多くの香港人が押しかけ、「北上消費」を楽しんでいるとのこと。山谷氏が香港駐在中に感じたことで、言葉の問題があるという。それは植民地時代の英語重視から中国語重視への変化である。このままでは国際貿易金融都市としての地位を守ることは難しくなるのではないかと懸念されているという。第3の「日中貿易から中国ビジネス」について。
「日中貿易」という言葉は遠い昔の「友好貿易」のイメージが強いが、今日では「中国」から「アメリカ」へとか、「中国国内で販売する」というように、ビジネスチャンスは多様化してきている。第4の「WTO」の加盟について
山谷氏は、WTOへの加盟で中国が得るものとして、「内国民待遇」、「最恵国待遇」があり、一方譲るものとして「関税引き下げ」、「非関税障壁の撤廃」、「サービス貿易の解放」を挙げられた。ただし、中国には計画経済時代の考え方(輸出入権)が残っていることも付加された(以上、米倉穣記)。