会員論文

日亜対中村事件の意味するもの

塩沢由典(大阪市立大学経済学研究科教授) KPC News (関西生産性本部機関誌) Vol.29 No.351 2001年10月号
「ふろんとぐらす」 pp.1-2.

 日亜化学と中村修二氏との紛争は、日本企業における人事管理の象徴的な事件である。

 日本の研究・開発部門の人事管理は、製造部門や営業部門で成功した人事システムを流用したものである。日本では、研究・開発は比較的新しい部門であり、そのマネジメントはわずか30年程度の歴史をもつにすぎない。流用は仕方なかった。だが、その結果、研究・開発部門の独自性が考慮されず、きわめて日本的な制度が確立された。

 報償制度は、つい最近まで、きわめて形式的なものでしかなかった。たとえば、特許をとることが推奨されたが、発明者にたいする報償は、ごく最近まで一件数万円程度のものでしかなかった。研究者と研究補助者との関係もあいまいにされており、力のある研究者がデータ取りなどの定型的な仕事に時間を取られてきた。研究を先導するリーダーの役割がおろそかにされ、大きな構想を進めるよりも、外国の先進的な研究を後追いすることが多かった。実力主義がしばしば提唱されたが、真に実力主義が採用されている研究所は少ない。

 こうした矛盾は、日本的経営全体の問題でもある。

 戦後日本の経営の基本は平等主義にあった。戦後のある時期、この仕組みは良く機能した。後追い経済で進むべき方向がはっきりしていた時代には、人材の底上げと人海戦術とがうまく機能した。しかし、その後、世界にしめる日本経済の位置は大きく変化した。日本は、現在、世界のトップに立っている。みずから新しいフロンティアを切り開いて行かなければ、その地位を維持することはできない。その新しい状況にうまく適応しきれていない。そこに日本的経営が抱える基本的問題がある。

 研究・開発では、能力の差が大きく現れる。創造的な仕事であればあるほど、能力の差が大きい。平等主義では創造的な体制を作りだすことはできない。人間の能力を計ることは難しい。しかし、実績をもってそれを示したものに対しても、日本的経営は適切な処遇をしてこなかった。報酬の上でも、職位や権限の上でも、それはいえる。ひとつの発明が数年で数百億円に上る利益をもたらすならば、そのような発明の当事者には相応の処遇が必要である。平等主義を基本とする現在の人事制度のもとでは、それは実現できない。しかし、そうしなければ、日本も各企業も、先進的な経済・技術を維持することはできない。

 現在、アジア諸国が日本に対する猛烈な追い上げを行っている。世界を先導する新しい技術・商品・サービスを日本はつぎつぎと生み出していかなければならない。そのために必要な活動は創造である。この新しい必要に応える体制をつくりださなければならない。平等主義は創造的な人間を排除し、彼らに活躍の場を与えてこなかった。これは、研究・開発部門に限らない。生産や営業にも同じ矛盾がある。それをどうするか。これが今後の経営の中心的課題になるであろう。


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