産学連携講座 ホームページ版 アメリカの大学における研究活動
宮田由紀夫 (大阪府立大学経済学部教授・本会理事)
 

アメリカの大学の研究が応用・実用志向であったことがアメリカで産学連携が成功した要因のひとつといわれる。たしかに、ヨーロッパ大陸に比べてアメリカでは科学(サイエンス)も純粋理論よりは実験・実証を重視し、応用志向であった。しかし、科学の担い手はアマチュア科学者によるもので、大学での科学研究が本格化するのは19世紀になってからである。アメリカの大学というのは植民地時代にプロテスタント教会の設立した私立大学(ハーバード大学、エール大学などのちにアイビーリーグ校と呼ばれる大学)から始まりそこでは教養教育が重視されていた。ただ、私立大学といっても州政府から財政援助を受けていた。本格的な州立大学の発展は1862年のモリル法による。この法律では連邦政府の土地を州に譲渡し、これを売った資金で農学・工学といった実学を教育することが求められた。(農学・工学以外の学部・学科をもつことは認められた。)マサチューセッツ州のようにマサチューセッツ工科大学という私立大学を支援したケースもあるが、多くの州で州立大学の拡充や新設が行われた。

同じく19世紀後半にはドイツの大学の影響を受けてアメリカの大学では大学院をつくっての研究が重視されるようになった。だが、それでもドイツに比べると純粋科学だけでなく応用研究も重視されていた。アメリカの州立大学ではモリル法の趣旨に沿って農学、工学の研究が重視され、地域経済発展に貢献する研究が行なわれた。石油の産地にあるオクラホマ大学で石油化学、タバコ栽培地にあるケンタッキー大学やノースカロライナ大学で農学、鉄道の中心地にあったイリノイ大学やインディアナ州のブデュー大学で機械工学がさかんになった。また、レンセラー工科大学(ニューヨーク州)、マサチューセッツ工科大学、ジョージア工科大学などの工学部専門(のちに社会科学や経営学部も加わる)の工科大学も設立された。また、機械工学と物理を融合した電気工学(Electrical Engineering)、機械工学と化学を融合した化学工学(Chemical Engineering)は、単なる応用物理や応用化学ではなく、新しい学問として発達した。19世紀後半に後進国であったアメリカと日本でヨーロッパに先行して工学を大学の学問として受け入れたのである。ヨーロッパの大学は20世紀になるまで工学部を持たないところが多く、工学は職業訓練の1部であった。

アメリカでも、アイビーリーグ校は教養教育を重視していたが、しだいに理学部、工学部も持つようになった。しかし、私立大学の中には今日まで大学院を持たず学部での教養教育を重視するリベラルアーツカレッジも生き残っていて、1流リベラルアーツカレッジはアイビーリーグ校と入学の難易度はあまり変わらない。(ただし、1流リベラルアーツカレッジは1流大学院の予備校的存在になっているとの批判もある。)したがって、アメリカの大学が実学一辺倒と考えるのは問題である。

大学、とくに州立大学は地域密着型であったので、大学の研究資金源において(1935年の推計値)、州政府が28%、連邦政府(ほとんどが大学併設の農業試験場への支援)が10%、非営利財団が16%、企業が12%、大学自身が34%であった。資金源としては連邦政府の比率は高くない。また、大学自身の資金も実業家からの寄付があるので産業界と大学との結びつきは強かった。

第2次世界大戦でレーダーや原子爆弾の開発において大学の研究者の貢献が高く評価され、それをきっかけに連邦政府から多額の研究資金がくるようになりました。大学での科学研究を政府が支援しておけば国家安全保障、経済繁栄、国民の健康が増進されるという前回紹介したバネバー・ブッシュの考え方がひろく支持されることになった。ブッシュはもともと平時における連邦政府の科学研究支援をどうするか、というルーズベルト大統領にこたえてレポートをつくったわけで、彼は中央集権的な科学技術省をつくり大学への基礎研究を支援しようと考えた。しかし、ブッシュ案に対しては、科学者による自治を認めすぎているとの反対も多く、全米科学財団(National Science Foundation, 以下NSF)という名称で成立するのに5年を費やした。財団という名称だが大学での研究支援を主務とするわが国の文部科学省に相当する省である。しかし、NSF成立までのの間に国防省、厚生省、原子力委員会(のちのエネルギー省)が研究開発活動を始め、大学の研究も支援したので、NSFの力は弱いものになった。

連邦政府から大学への研究支援は、当初は各省のニーズに直結するような応用研究が多かった。しかし、1957年にソ連(当時)が人工衛星をアメリカより先に打ち上げるという「スプートニクショック」がおこり、アメリカでは初等教育から高等教育までの科学教育の強化が謳われた。その結果、連邦政府から大学への研究資金も基礎研究重視となった。1960年代には連邦政府の大学の研究資金源としてのシェアは70%を超え、連邦政府の研究資金は75%以上が基礎研究であったので、大学の研究は全体として75%強が基礎研究となった。

このような基礎研究重視には二流大学までノーベル賞を狙うような基礎研究を行い、応用研究や工学を軽視したことがアメリカの製造業の競争力低下につながったとの意見もみられた。日本の大学の研究は将来のニーズを見越した応用目的の明確な研究であると評価されていた時期もあった。しかし、アメリカの大学の研究は基礎研究といっても各省が独自に支援していたので、やはりどこか応用目的をもった「方向性のある基礎研究」「応用性を意識した基礎研究」であった。NSFだけが純粋に無目的な基礎研究支援をしていたが、そのNSFですら、1970年代以降は応用を意識した研究支援を重視している。反面、NSFの力が弱く中央集権的でない分、アメリカの研究予算、大学への支援はそれほど明確な国家戦略に基づいて行われているわけではない。冷戦終結後、国防予算が削られるなかで、物理、電子工学の分野での連邦政府から大学への研究支援金額が減少した。このようなことを決して望んでいるわけではないのだが、結果としておきてしまうのである。

このようにアメリカの大学でも基礎研究は主流であったが、応用の可能性は漠然と意識されていた。1960年代には大学教員は自分の研究さえ行っていれば産学連携とか意識して行わなくても社会に貢献できる、と楽観的に考えていた。1970年代には大学の研究成果の目に見える社会貢献を求める声が強まった。1980年代以降の産学連携の再活性化においては、こんどは産学連携のメカニズムを明確に通してではあるが、大学教員は再び自分の研究が社会に貢献できることになったので、大学の研究者にとっては心地よいのである。そして、最近は大学の研究成果は特許になったものでさえ、萌芽的で実用化には相当の努力が必要だという認識が高まっている。アメリカでも大学の研究が即実用化されるわけでもないし、産学連携が活発とはいえ、大学の研究者は特定の応用研究を強制されることは望んでいないのである。


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